夢や目標がないことの劣等感とは

君はどうしたいのか?どうなりたいのか?どうなればいいのか?他者からそう問われた時や自身で問うたとき、何も浮かばず、そんな自分に苛立ちや失望感のようなものを覚えたときがよくある。

別にお金持ちになりたいわけでもないし、働かずに楽をしようとも思わない。けれど、具体的な目標や夢を問われると何も浮かばない。そういう人はそれでいいのだと思う。具体的な目標や夢がある事が正しいとか立派である、という考え方自体に洗脳されているだけ。

僕の考え方はこうだ。人には大きく別けて、夢を求める人と実現を助ける人がいる。前者だけでは夢は妄想となり具体化されることはない。後者だけでは、夢を見られないのでこれもまた何かが具体化されることはない。この二種類のバランスがあってこそ人は生活したり進化できるのだということ。どちらにも優劣などない。

そして前者にも後者にも目標はある。
夢を実現すること。
夢を実現させてあげること。

目標とか夢とか聞かれて迷う人は、誰かのためになりたいとか、喜ばれたいとか、そういう気持ちが人一倍強いタイプの人じゃないでしょうか。そうだとしたら、夢や目標を聞かれたら「誰かの夢の実現を叶える事が自分の夢です」と答えればよい。そのために調べたり、考えたり努力を一生懸命やっているはずだ。

そういう観点で自分を見つめ直して見ると、意外と夢や目標が見つかったりする。それにスケールの大小は関係ない。だから、冒頭のような偏った夢や目標という言葉に翻弄されるのはやめたい。だから劣等感も感じる必要はまったくない。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする