幸せのゴールとは何かを考えてみる

「幸せになりたい」とは誰もが考えることだろう。どうなったら自分が幸せか?お金があること、愛する人愛してくれる人がいること、仕事が充実していること。簡単に書き出せば無数に出てくる。

しかしながら、それぞれ一つ一つを掘り下げて考えると、それは自分が既に得ていることだったり、不自由は大してしていないことだったり、今は得ていないものであっても果たしてそれが叶ったら幸せと感じられるのだろうか?という疑問ばかり。

私は、この「人生」という試合?に参加した以上、死という試合終了の時がやってくるまでは、出来るだけいい過程を得ようと、義務感で毎日と向き合っている。

つまりは、試合に参加した以上は、「幸せな人生」というものを追い求めてなきゃ辛いだろうなとか、試合参加者としてなさけないだろうなとか、そいう考えの下にいる。

でも「幸せな人生」というゴールはいつ・どうなったらやってくるのだろうか?いつ・どうなったらそれを認識できるのだろうか?私なりの考え方はこうだ。

冒頭の通り、私は義務感で毎日を生きていて、この「人生」という試合を早く終えたいと思っている。なぜなら、

一言で言えば、面倒だし疲れるから。

苦楽や喜怒哀楽、この事象の波を充実や楽しいと感じられる人もいるだろう。しかし、私はその苦楽・喜怒哀楽・一喜一憂、こういうことがすべて面倒なことだと心の根底で思っている。

それを思うと、私にとっての幸せのゴールとは、

この試合を終えたくない。
死なずにもっと人生を続けたい。

と日々思えるようになることだと思う。

そして、ゴールとは終点のようなイメージだが、決してそうではなく、「ここから出発してどこまでも行ける限り進みづ続けたい」という世界観の出発点に達することが、ゴールであると思っている。ゴールに到着したら、またスタートするであろう。健康であり命がゆるすなら。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする