大人のための「無責任ですが何か?」論

ある程度、人生を生きてきた人には、自分なりの物事の良し悪しという定規が出来ていると思います。

そうした人生の経験者には、語っても許されるであろう私なりの無責任論について語ろうと思います。

今日は、発達障害のお子さんを持つ人の悩みを聞く機会がありました。「子供が迷惑ばかりを学校にかけて、もう、どうしていいか判らなくて、悩みのせいなのか体重も人生初の軽さになった」と。そこで「いっそのこと、無責任になったら?」と言う話をしました。

世の中の親は真面目なので、子供が迷惑をかけたというとそれを背負ってしまいます。それは社会的に言えば立派な事で当然の事と思います。そこで敢えて違うアプローチを提案したいです。

よく「それは無責任だ」と言われる(言われるであろう)事があります。でも、無責任でいいのです。
心の中で思ってください「は?無責任ですけど。なんであなたの人生の責任を私が負う必要があるのですか?」と。

人生は色んな事に遭遇します。それに対して応じるのは、すべて自分です。その時の事象に対して考え・行動するのは自分の選択です。

だから話を戻すと、発達障害の子供が迷惑をかけてしまう事は、申し訳ないとは思いつつも「その迷惑に出会ったのはあなたの人生である、それをどう捉え、どう対処するかはあなたの人生で、こちらは知ったこっちゃない」と、あなたの人生の課題を押し付けるな!と言うくらいの、相手の人生に責任をとる必要はない!という気持ちでいいと思います。

人間は元来いい人なので、人の負も自分の責任と考えて、新たに自分に悩みを課してしまいます。その考え方を脱却してみるアプローチはどうでしょうか。

例えば、僕は今の会社に転職して、役にたてていないんじゃないかとか、僕を採用して検討違いと思われてるのではなかろうか。とか、考えた事もあるわけです。

でも、決して不真面目な気持ちで仕事に取り組んでいる訳ではありません。僕と出会い僕を採用したのは、あなたの選択であり、僕がもし検討違いでも、その責任は僕にはありません。あなたが招いた事でしょう。僕には何の落ち度もありませんよ。ということ。それで、僕がクビに、なれば僕はその責任を自分でとり、新たに職を探す訳です。

その時に、会社に迷惑をかけたとか、自分の出来が悪かったなんて余計な罪を自分に課してはなりません。余計な責任を自分に課す必要はないのです。

一線を越えないという常識を得た大人たちは、もう他人の人生の責任を自分に課すことはないのです。自分の事だけ考え・行動すればいいです。人にかける迷惑は、その人が出会うべくして出会った迷惑。その人に考えさせればいいのです。
かけられた迷惑(事象)を、人に押し付けるか自分の試練として活かすかは、その人の器によるものです。勝手に選ばせましょう。

利己主義で自分勝手に生きていいと言ってる訳ではなく、背負わなくていい事を背負って苦しくなってはなりませんよ。と言うことを伝えたいです。いいんです、他人の人生に対しては「大人の無責任さ」でいても。

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